連載<だから私は二刀流>⑦
◆弁護士バッジが「でっかくなっちゃった!」
手元のトランプの束に注がれる周囲の視線。手際良く切り、一番上のカードをめくると、あるはずのないハートのエースがずばり。歓声、拍手、うなり声…。ニヤリと笑う、そのマジシャンの胸元には光輝く弁護士バッジが着いている。
弁護士の小野智彦(54)がマジックにはまったのは、2003年、長男が2歳のころだった。帰宅もままならないほどの多忙で、子育ては妻に任せきり。「息子にとって、知らないおじさんだった。最初はわが子とのつながりを保ちたかっただけ」と小野。安価なマジック用品を買い、目の前で披露すると、想像以上に喜んでもらえた。
以来、勤務の合間を縫ったトレーニングが日課に。事務所で書類を読みながら片手でカードを操ったり、コインを手のひらに隠したりした。折しも、00年代中ごろ、国内ではクロースアップ(至近距離)マジックが大ブーム。腕が上がるとともに、「マジシャン弁護士」として法曹界で珍しがられ、ステージやテレビ出演の依頼が舞い込むようになった。
人気マジシャンの耳が大きくなるジョークをまね、弁護士バッジが「でっかくなっちゃった!」とおどけてみせる。得意技はカードを使ったマジックだ。超絶技巧はないが、「手品」という字を引き合いに「手の3倍、口がある。しゃべりも力量の一つです」と言ってのけ、ステージでは偽悪的に毒を吐く。「結婚式と誕生日、会社の創立記念日が主な仕事。弁護士は3つとも逆です。離婚、死亡、倒産ですから…」
◆「ギミックコイン」の裁判でマジシャンの弁護人に
小野いわく、マジックと弁護活動は「どちらも心理学の要素がある」。マジシャンには、左手に注目させている隙に右手で素早く動作を行うように、観客の注目をそらす「ミスディレクション」という技術が必要とされる。成果を出すためには布石が重要なわけだ。「実は、弁護士にも大切。法廷での尋問では、わざと相手の意識をそらす質問で油断させておき、とどめの質問を後で繰り出すケースもある」と明かす。
「芸が身を助けた」こともある。日本奇術協会の賛助会員だった07年、マジックに用いる「ギミックコイン」の製造が、貨幣損傷等取締法(損傷目的収集)に違反するかが焦点となった刑事裁判で、500円玉などの硬貨を加工し、起訴されたマジシャンの弁護人を依頼された。小野は「マジシャンへの適用は『表現の自由』の侵害で憲法違反」と無罪を主張。協会の副会長を裁判所に招き、実際にコインを用いたマジックを演じてもらった。「検察官はしかめっ面だったけど、裁判官はけっこう笑っていましたね」
結局、最高裁で執行猶予付きの有罪判決が確定し、ギミックコインの種や仕掛けを暴露したテレビ局を相手取った損害賠償請求訴訟も敗れた。だが、小野はこう振り返る。
「法廷で初めて、マジシャンに許される表現の幅、種明かしの是非について争うことができた。大きな前進と言えるだろう」
◆5年連続で落第、ついに倒れた
小野は浜松市東部の天竜川の近くで生まれた。激流で恐れられる「暴れ天竜」とは対称的に、幼少期の小野は引っ込み思案で、市内に数多い楽器店で手に入れたリコーダーなどに親しんでいた。「ラジオの音楽を耳コピし、2本くわえて和音を奏でていた。それが同級生に受けた。マジシャンとしての今につながっているかもしれない」と話す。
だが、本業の弁護士になるまでの道のりは平たんではなかった。中央大法学部に進学し、司法試験を目指したものの、最初の関門となる短答式試験に5年連続で落第した。食事がのどを通らなくなった。5回目の不合格の数カ月後、OBとして参加した大学の後輩のゼミ合宿で倒れた。両親が駆け付けた病院で栄養失調と告げられ、カリウム製剤の注射を受け続けた。
「父に『荷物をまとめて浜松に帰ってこい』と怒られました。でも、いったん足を踏み入れたら抜けられない。故郷で大好きなオカリナを吹きながら休養し、『何とかする』と両親を説得しました」。大学卒業から8年後の31歳で弁護士登録。小野の髪の毛は真っ白になっていた。
◆「庶民と泣いたり、笑ったりできる職業」
とはいえ、小野はずっと弁護士を志していたわけではなかった。「大学の先輩にほれたから。僕の最初のボス弁です」と語る。
「ボス弁」こと、故白谷大吉とは、大学入学直後の「人権ゼミ」で出会った。お世辞にもスマートとは言えない風貌。豊島区巣鴨に事務所を構える「街弁」だったが、過去に獲得した無罪判決は十数件との触れ込みだった。ゼミがお開きになると、学生を年季の入った居酒屋に連れ出し、好みの麦焼酎「吉四六」をあおりつつ、「いいか、弁護士ってのはな…」と説き始めるのが常だった。小野が続きを引き取る。「庶民と泣いたり、笑ったりできる唯一の職業だと。先生のような人情味がある弁護士になりたかった」
ボスと働き始め、1年半ほどたったころ、小野はある窃盗事件の国選弁護人になった。起訴状には「被害金額 150円」と記されていた。執行猶予付き判決の前科があった22歳の男性が、職場のいじめに耐えかね、雨の夜を着の身着のまま脱走し、雨宿りした会社の冷凍庫のアイスクリームを盗み食いした。接見した男性は精神科病院の通院歴があり、自身を含む6人のきょうだいは全て里子に出されていた。
暑い夏だった。小野は男性の兄を捜し、少年時代を知る牧師を訪ねた。裁判官は男性の情状と心神耗弱を考慮し、再度の執行猶予付き判決を言い渡した。それから1年後、男性からかかってきた電話を、小野はうれしそうに回想する。
「パン屋で真面目に働いていた。お礼に昼ご飯をごちそうしたいと言ってくれたんです」。弁護士人生で最も印象深いという。
◆主な担当業務は「未払い養育費の回収」
現在、弁護士としての主な担当業務は「未払い養育費の回収」だ。多い日には1日に80〜90件の調停を抱える。「毎日が紛争の渦中ですね。悲しいことばかりだと、気がめいっちゃいますよ。でも、マジックには笑いがある」。白谷の系譜を継いだ弟子らしく、居酒屋やバーなどの簡易ステージに立つことが多い。子連れの法律相談の際は、決まってこう語り掛ける。「静かにしていたら、後で面白いご褒美をあげる」
長い人生、曲折は誰しもに訪れる。自身も離婚を経験した。再婚し、新たに中学生の息子ができた。親子の絆を深めた種は、やっぱりマジックだった。小野にモットーを尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「目の前の人を笑顔にすることに尽きる。弁護士もマジシャンも一緒です」(西田直晃、文中敬称略)
◆デスクメモ
弁護士バッジにデザインされたひまわりは「自由と正義」を、てんびんばかりは「公平と平等」を表すという。小野さんの言う通りシビアな仕事だから、まっすぐ生き抜く理想を込めたのだろう。その中で人を笑顔にするマジシャン。お天道様に向かって明るく咲くひまわりに重なる。(本)
◇
連載<だから私は二刀流>
今春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも投打にわたる大活躍を見せた大谷翔平選手。改めて「二刀流」が脚光を浴びたが、世間には独特の二刀流を体現する人たちがいる。その足跡、こだわりとは—。
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