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徳島:「樵木林業」復活の炭作り:地域ニュース : 読売新聞 - 読売新聞オンライン

 半世紀前まで海部地域で栄えていた「 樵木こりき 林業」の復活を目指し、移住者らが美波町で起こした「四国の右下木の会社」が、町内に造った窯で本格的に炭の製造を始めた。「樵木備長炭」のブランド名で生産を拡大し、今秋から海外でも販売する予定。同社は「過疎や高齢化で放置され、荒れた山を『樵木林業』を広めて守り、地域を活性化したい」としている。(吉田誠一)

 樵木林業は、直径3センチ以上に育った幹だけを切り、ほかの木を保護する「択伐」と、切り株から出た芽を育て、10年余り成長を待って切ることで木の若返りを図る「 萌芽ほうが 更新」という手法が特徴。木を全て切り、次の伐採まで50年ほどかかる一般的な「皆伐」とは異なり、木を適切に保全でき、台風による倒木などを軽減する。

 太平洋に面し、温暖な気候の美波、牟岐両町の沿海部の山にはウバメガシ、アラカシなど常緑の広葉樹(照葉樹)が広がり、江戸時代の1660年代には まき や炭の材料を産出する樵木林業が始まっていたとされる。

 生産した薪や炭は、主に阪神地域で大量に消費され、地元農家500~600戸の暮らしを支えた。しかし、昭和30年代に石油などの化石燃料に取って代わられ、高度成長期に合わせて始めた製紙用のチップ生産も、安価な外国製が輸入されて低迷。農業人口の減少に加え、杉、ヒノキへの植え替えも進み、樵木林業は数戸が営むだけになった。

 それでも日本林業学会は、その歴史的意義、環境保全の役割、今後の可能性などを評価。2017年度に「海部の樵木林業」を「林業遺産」に認定した。

 この樵木林業に着目したのは、美波町の豊かな自然に魅せられた移住者らだった。中心となったのはいずれも東京暮らしを経て、企業のサテライトオフィス誘致などを手がける会社「あわえ」を創業した吉田基晴社長(51)と、高知県内で約8年前から製炭業を営む椎名洋光さん(41)。伝統的な林業の存在と、町内にまだ多くの照葉樹林があることを知り、町内などに移住していた若者ら約10人と21年4月に「四国の右下木の会社」を創業した。

 同社は町有林や個人から借りた山地計約10ヘクタールを、作業道を造るなどして管理。アラカシなどを切り出した「樵木薪」と、ウバメガシを椎名さんの窯で炭にした「樵木備長炭」は、今年2月から町のふるさと納税の返礼品になった。5月からは地元の道の駅などでも販売し、好評という。

 同社は昨年1月から、同町北河内の山間部で2基の窯造りも進めてきた。どちらも高さ2・5メートル、幅2メートル、奥行き4メートルで、外側はコンクリートブロックを積み上げ、内部はれんが造り。今年4月の完成後、試し焼きを続け、7月初めには本番としてウバメガシ5・5トンを入れ、3週間かけて焼き上げた。

 今月20日の初窯出しでは、社員5人が朝から作業。約1000度の窯の中からかき出した炭は、ぶつけ合うと良質の証しという「キンキン」という高い音がしたという。そのまま2日間かけて冷やし、700キロ近くの備長炭が完成した。

 今後、年内に約8トンを生産する予定で、9月頃からは欧州でも販売する。来年新たに窯2基が完成すると、年間24トンの生産が可能になるといい、椎名さんは「里山を守る樵木林業を広めるため、伐採地を募りたい」と意気込んでいる。

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