米国では、約800万人の糖尿病患者がインスリン製剤に頼って病気と闘っている。しかし、とどまるところを知らない価格の上昇により、命を守るための薬剤を購入できない人が増えている。実にインスリン使用者の4人にひとりが、価格の高さを理由に投与の回数や量を減らさざるを得なくなっているとの報告もある。
最近になって、米連邦議会が医療保険制度「メディケア」の加入者の自己負担額に月額35ドル(約5,250円)の上限を定めたり、インスリン剤を扱う製薬企業が一部製品の希望小売価格を引き下げたりといった動きが見られるようになったが、恩恵を得られる患者は限られている。
こうしたなか、ヒューストンにあるバイオ技術系スタートアップのrBIOは、インスリン製剤をもっと手ごろな価格で販売できるよう、「バイオシミラー(バイオ後続薬)」と呼ばれる“模倣品”の完成を目指している。インスリンのバイオシミラー開発に取り組む企業はほかにもあるが、rBIOはオーダーメイドのバクテリアを使用する、まったく新しい製造法を考案したという。
価格高騰は「便乗値上げ」のせい?
最高経営責任者(CEO)のキャメロン・オーウェンによると、rBIOはインスリン製造の収率(歩留まり率)を現状の2倍に増やせる、新種のバクテリアの培養に成功したという。2024年2月1日、同社はバイオシミラー・インスリンのラボ試験を終え、構造的にも薬効的にも大手製薬会社の製品と同等であることを確認したと発表した。24年後半には臨床試験を開始し、自社のインスリン剤が既存品に匹敵する有効性をもつかどうかを判断する予定だという。
「インスリンの価格高騰は、便乗値上げによるものとしか思えません」とオーウェンは言う。米シンクタンクのランド研究所が20年に発表した試算によると、インスリンの1バイアル当たりの平均希望小売価格は、カナダが12ドル(約1,800円)、英国が7.52ドル(約1,130円)であるのに対し、米国では98ドル(約14,700円)となっている。
インスリンは、血糖値を一定に保つために、膵臓から自然に分泌されるホルモンである。このホルモンを体内で十分に生成できない糖尿病患者のために、複数の企業が化学合成によるインスリン剤を製造している。
米国では長年にわたり、3つの製薬会社がインスリン剤の市場を独占してきた。イーライリリー、ノボノルディスク、サノフィの3社である。この3社はそれぞれインスリン剤の希望小売価格を設定し、薬剤給付管理会社(PBM)と呼ばれる仲介業者の協力を得ることで、各種医療保険の適用を受けている。そのため、製薬会社がPBMにリベートを渡したり、値引きを提示したりして、格別の便宜を図ってもらおうとすることも珍しくない。リベートの額が増えるにつれて、製薬会社はインスリン剤の定価を引き上げてきた。だが、患者にとってこうしたリベートのやり取りは何の得にもならない。この手の慣習がインスリンの価格高騰に拍車をかけてきたのだ。
1921年にインスリンが発見されるまで、糖尿病患者は長く生きられないとされていた。糖尿病で死期の迫った14歳の少年が、世界初のインスリン注射を受けたのは1922年のことだ。それ以降、ウシやブタから抽出したインスリンが人間の治療に使われたが、動物由来のホルモンは、患者の体にアレルギー反応を引き起こすことが多かった。
その後、ある科学者チームが1978年に人工的にヒト型インスリンをつくり出す方法を発見した。人間のインスリンの遺伝子をバクテリアに注入する製法により、ヒト型インスリン製剤の量産が始まったのだ。
つくれなかったジェネリック製剤
ところが、この製造工程は複雑で、最近まで大手3社以外の企業はジェネリック製剤をつくりたくてもつくれない状態が続いていた。インスリン剤の特許権が最初に認められたのは1920年代だが、大手製薬各社は長年にわたり自社のインスリン剤に少しずつ改良を加えることで、特許の有効期間を引き延ばしてきた。
最近ようやく主要な特許権の一部が失効したため、米食品医薬品局(FDA)はインスリンのバイオシミラー品に対し、市場参入の道を開き始めた。「バイオシミラー」の呼称は、既存の流通品とほぼ同一の薬剤であることに由来する。バイオシミラー品と認められるには、先発品に匹敵する構造をもち、患者に対する薬効も同等でなければならない。
オーウェンが20年に設立したrBIOは、既存のインスリン製剤に配合される菌株よりもさらに多くのインスリンを生成できる、大腸菌に似た高活性バクテリアの培養に成功した。この事業のために、同社はミズーリ州セントルイスにあるワシントン大学医学部の細胞生物学および生理学教授であるセルゲイ・ジュラノヴィッチに協力を求めた。ジュラノヴィッチの研究室は、遺伝子に働きかけて通常よりはるかに大量のタンパク質生成を促すアミノ酸配列(タンパク質を構成するアミノ酸の結合順序)を19年に発見し、この配列がバクテリアや酵母だけでなく、人間の細胞内でも効果を発揮することを確認した。
「特定のアミノ酸配列を使うことでタンパク質の大量生成が可能になったのは、ひとえに生成効率の向上を追求した結果です」とジュラノヴィッチは言う。
理論上、この配列を使うことでインスリンを含むあらゆるタンパク質の生成を大幅に増やせるはずだ。rBIOがコストの低減に自信を見せる理由は、こうした生産効率の向上にある。
18年に発表されたある研究論文は、合成インスリン剤の製造コストを1バイアル当たり2~4ドル(約300~600円)程度と試算している。しかし、オーウェンによると、rBIOの製法はその工程における収率が高いので、さらなるコスト削減が可能だという。
製造会社が増えれば価格も下がる
「新たな技術の登場によって薬の値段が下がることは確かに朗報ではありますが、ただちに時代を変えるほどの大変革にはなりえないでしょう」と、糖尿病の専門医であり、ワシントンDCを拠点とする米国内分泌学会の最高医療責任者を務めるロバート・ラッシュは言う。結局のところ、企業間の競争を促すことの方が、患者に多くの益をもたらすはずだと彼は考えている。「インスリンを製造する会社が増え、患者の選択肢が増えるにつれて、価格は徐々に下がっていくでしょう」と彼は言う。
FDAの後押しがあっても、大手3社以外のインスリン製造企業が市場参入を果たした例はほとんどない。21年7月、マイラン製薬(Mylan Pharmaceuticals)とバイオコン・バイオロジクス(Biocon Biologics)が共同開発した「セムグリー(Semglee)」が、サノフィの「ランタス(Lantus)」と互換性をもつ世界初のバイオシミラー・インスリンとしてFDAに承認された。続いて同年、FDAはイーライリリーの「Rezboglar」を、サノフィの「ランタス」のバイオシミラー品として認可した。大手3社も、自社のインスリン剤の“ノーブランド版”の販売を開始している。
ユタ州を本拠とする非営利製薬企業のCivicaは22年、独自の低価格インスリン剤を製造、販売する計画を明らかにした。Civicaは同時に、インスリン剤の価格を最高でも1バイアル当たり30ドル(約4,500円)、1箱5本入りのペン型インスリン注入器の価格を55ドル(約8,250円)に抑えると宣言した。カリフォルニア州は23年にCivicaと提携関係を結び、安価なインスリン剤の独自開発を開始している。
オーウェンによると、rBIOはインスリン製造コストの30%削減を目指すという。同社のR-biolinは、投与から90分以内に効き始め、その後24時間効果が続くノボノルディスクの「ノボリン(Novolin)を模してつくられたインスリン剤である。24年2月、ノボノルディスクは、ノボリンをはじめ、ノーブランド品を含む一部のインスリン製剤の希望小売価格を引き下げた。現在、ノボリンは1バイアル当たり48.20ドル(約7,230円)、ノボリン専用の注入器FlexPenは91.09ドル(約13,660円)で販売されている。
rBIOには、自社のインスリン剤にノボリンと同等の効果があることを証明するという課題が残されている。それができたとしても、rBIOだけの力で患者の最終的な負担額を変えることはほぼ不可能だろう。ほかの製薬会社と同様、rBIOはPBMを介してインスリン剤を販売することになる。「それでも、大幅なコスト削減は可能だと思っています」とオーウェンは言う。
(WIRED US/Translation by Mitsuko Saeki/Edit by Mamiko Nakano)
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